こんにちは、たまごろうです。突然ですが、「9歳の壁」って聞いたことありますか?
人間の脳は9歳前後に思考形態が変わり、日常的で目に見える現実的なことばかりでなく、抽象的な考えができるようになるそうで、この境目を「9歳の壁」と言います。
「9歳の壁」にぶち当たると、小学校の低学年では学力テストなどで高得点を取っていても、四年生くらいで(分数や小数を扱い出す頃)算数が苦手になるなどの現象が見られるようになります。
私が指導している個別指導塾では、大手の集団の中学受験の勉強で、進度が早くて分からないところが多く、点が伸び悩んで、塾を掛け持ちして通っている生徒が定期的に何人か来ます。
中には、なんとか無事に中堅校に合格できたにもかかわらず、受験が終わると気が抜けて、分母の違う分数の足し算さえやり方を忘れてしまってできなくなるという子もいて、衝撃を受けました。
よく、受かったなと😓
その後、進度の早い中学校の内容についていけず、塾も退塾して学校にもいけなくなってしまいました。
集団塾では「スピード」「点数」は測り易いですが、一番肝心な、どこまで「思考」できているかが見えにくいのが悩ましいところです。
その見えにくい部分「思考力」をどのように育てるかが、糸山泰造氏の著書『絶対学力』に書いてあります。
それを読んで、「9歳の壁」の乗り越え方を私なりに考察してみましたので、現在低学年のお子さんを持たれている方に知ってほしい内容や、点数が伸び悩んでいる小4以上(中学生も)のお子さんのヒントになる内容ですので、是非ご覧くださいませませ〜。
幼児期の高速のプリント反復学習を避ける
頭は急かされると計算の意味を知ろうとはしません。考えるとしても、それは「どれだけ簡単に速く処理できるか」ということだけでしょう。つまり、短絡的であることを求め始めるのです。
糸山泰造『絶対学力』
賛否両論ありそうですが、個人的には「やり方次第」だと思っています。
こと計算問題においては、一番重視されるべきは「速く」「綺麗に」「正確に」です。
いかに速く頭の中で整理作業を行って、脳と手を連動させて、ミスなく答えにたどり着くことができるかの勝負以外何でもないのです。
ただし、それは受験生になってから意識しても遅くありません。
この著者が言いたいことは、幼児期の、計算に初めて触れる際の高速大量プリント学習が危険だ、ということだと思います。
この点に関しては私も同意しています。
我が子は今、学校で九九の練習を習っているところですが、九九を覚えるのと同時に掛け算の意味を理解してもらおうと、家庭学習の中で掛け算を足し算の問題に考えてみたり、手に取れるもので実践して考えてみたり、絵を描きながら考えたりと、じっくり慎重に丁寧に進めています。
我が子の理解力、記憶力、判断力は、謙遜ではなく、客観的にみても高いレベルとは言えませんが、
だからすぐに出来ない、というわけではなく、小学校二年生の教育課程で「掛け算」というのは少し抽象的な概念が混ざっており、この年代の子が真に意味を理解するのに時間は相当かかるものであると感じています。

うちの学校では2学期にひとつ分×いくつ分、3学期で掛けられる数×掛ける数を行うよ!
たかが計算、されど計算。
この過程にかける時間は無駄ではなく、必要なものであり、四年生まででしっかり理解が出来れば、高学年からの難解な算数で一気に楽しくなってくるのだと思っています。
低学年は量より質を重視した家庭学習
上記の内容にも関係しますが、低学年では、しっかり意味を考えて、深い思考と想像力を働かせる大事な時期です。
このことは私たち親からすれば、何もせず、ぼーっとしてるだけなのか、頭の中で必死に考えているのか分かりにくいものなので、ついつい目に見える練習(プリント学習や漢字の書き取り)ばかりさせてしまいがちですが、丸が付くからといってそれで安心してはいけません。
「できた」ではなく、本当に「分かって」いるのか?を重視しなくてはいけません。
飛躍できない子供たちの存在を見えなくしている原因は「分かっていなくても、できるようにさせられてしまっている」ことにあります。
糸山泰造『絶対学力』
毎日少しの量で良いので、丁寧に学習することを習慣づけましょう。
著書の中でも、習慣つけるのには3年かかると書かれています。
一朝一夕には付かない習慣ですが、三年後に本人が苦もなく学習できるならば、今からやるしかありませんね!
教科書の音読に意味はあるのか?
意味はあります!
学校から出される宿題で、ほぼ毎回「本読み」があると思います。
自分の声で話し、耳で聞くという練習は、国語と英語の学習にとても大事で、音楽での譜読みもまずは歌うことから始めると上達していくものです。
そして「読む」というのは、一度の音読ではなく、二回、三回と音読を繰り返すことで、最初に取れなかった意味や書いていない想像までもが取れるようになることです。
このようにして、文字を目で認識して、耳で音を捉え、頭で理解するという単純な作業を行うことで、読解の基礎力が培われます。
この読解の基礎力はすなわち、さまざまな文章題を解く際の思考力の源なので、本読みの宿題を侮ってはいけないと感じています。
また、漢字学習にも有効です。
漢字は書いて覚えるもの、と考えがちですが、まずは読めるようになるところから練習すると、その漢字がもつ意味と連動して自然に覚えていけるので、同じ部首を持つ漢字や送り仮名を連想できるようになります。
ただし、教科書の同じ文ばかり読まされると、何も考えずに読み飛ばすクセがついてくることも注意しなければいけません。
スラスラと発音できる=「読める」という勘違いを起こさないように、学校の本読みの宿題で、ご家庭で簡単な要約をしてみたり、段落ごとに何が書いてあるかを意識させていくのが良いかもしれません。
親が教えすぎてはいけない
子供の頃、公文式に通っている従兄弟がすごい先取りの計算をしていて、それを見た私が母に「掛け算ってなに?」と聞いたことがありました。
その時、母は何も教えてくれず(母も塾の講師)、まだ知らなくていいと一言だけ。
その時、「なんだろう!早く知りたい!」という探究心がとても大きくなったのを今でもよく覚えています。
今では私も親となり、その時の母の気持ちもよく分かったような気がします。(単に面倒臭くて教えてもらわなかっただけかもしれませんがw)
子供の純粋な「知の喜び」を無駄にしてはいけないのですよ。
自分で課題を見つけて、自分で挑戦し、自分で理解する、これこそ学びの楽しさです。
そこに正解はなく、さまざまな視点で考えることができる心の豊かさを養ってあげましょう。
早くから知識を詰め込み、学校でいつも満点を取ることにフォーカスする時代はもう古く、この流れの早い社会情勢についていけるように、常に柔軟な思考を持ち、自分で考えて行動し、多少の失敗も恐れずに挑戦する力がこれからは求められていくのです。
また、積極的に先生に質問をしに行けるよう、ご家庭で何でも教えてくれる親の存在を封印しましょう。
いずれ、親が教えられないレベルになってきた場合に、先生に自分から質問しに行ける性格でなければ一人で苦労をし続ける羽目になってしまいますよ。
家庭教育では丁寧な1対1を意識する
「親が教えすぎてはいけない」けれども、「家庭学習に親は付き添う」ことは必要です。
子供一人ひとりに個別に反応してくれる環境は、あらゆる発達にとって最も効果的であるため、子供が悩んでいるところは一緒に悩み、理解できるように梯子を掛けてあげる程度のお手伝いをします。
出来たら必ずその都度褒めてあげましょう。
学校での6時間の集団授業よりも、家庭での10分間の対話が重要であり効果的なのです。
糸山泰造『絶対学力』
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